『座右の諭吉』 - なぜすぐにやらないのか

座右の諭吉 才能より決断 (光文社新書)
齋藤 孝
光文社 (2004/11/13)
売り上げランキング: 96635
読み終わりました。
これの兄弟書とでもいうようなものとして、

というのもありまして、そっちはずっと以前に購入して、合わせる形で再読しました。
ゲーテ』と比較して、こちらの『諭吉』は全般に「カラリ」とした空気が流れていますね、ホントに。サブタイトルの「才能より決断」という点が、この本の本質そのものではないかと。

悩む暇があったら勉強したほうがいい(P.16)

私自身も長いこと、精神は晴れきってはいけないという、無意識の抑圧を感じていた。その思い込みを払拭してくれたのが福沢だ。
青年期の彼がナーバスな感傷や自分探しの代わりに何をしたかといえば、カラリと晴れたあの精神のままに、ただ勉強をしていたのである。私自身も人生に悩んだ時期が長かったので痛感する。人生にぐずぐず悩むヒマがあるならもっと勉強をすればよかったのだ。

とりあえず行動!今の世の中、自分の意識さえあれば、何をしてもそれを糧として、「勉強」として捉えることは出来るはず。

精神は大胆に、段取りは繊細に(P.58)

私が見るに、エネルギーの漏電者というのは現代に実に多い。問題に直面したとき、「うーん、どうしよう、どうしよう」と逡巡して、悩むだけで毎日のエネルギーをほとんど使い果たしている。一方、福沢はその無駄な時間がほぼゼロなのである。学問をする前に漏電の無意味さにすでに思い至って身につけていたところがすばらしい。

悩む暇があったらとりあえず行動!
面倒だと思ったその時が家事のやり時なのです(下宿生にとってはここ大事!!)。家事をする時って段取り力は大事ですよね。

なぜすぐにやらないのか(P.159)

井上は答えて、「そう簡単にはできない。三年は先だろう。」と追求をかわした。福沢はその返事が気に入らない。「きちんとした目算があって三十六ヶ月と言っているのではないだろう。大枠が決まったら後は後のことではないか。」と、まず実行してしまえというように迫った。

動き出せば自ずと先は見えてくるものですね。その一歩を踏み出すエネルギーが足りないんですが…orz
部屋が汚いなぁと思ったら即掃除です。

「自分探し」は時間の無駄(P.167〜168)

福沢も、目的達成のためにはあれこれプランを練るよりも、現実の行動を重視していた。咸臨丸に乗りたいと思ったら、乗り込む資格を得るための手段を具体的に考える。「咸臨丸に乗って自分はどうするつもりなのか」などと漠然と考えても無駄だということを知っていたのだ。

この項、就活中の人間には結構響くところがあるんじゃないでしょうか。
「現状を打開していくために何を真っ先にすべきかを意識していくことで、仕事は展開できていく」と、筆者もズバっと語っています。

才能より決断(P.172)

福沢が歴史に名を残す成功者となった最大の要因は、才能よりも決断力にあったと私は考える。
決断はスピードが勝負だ。決断力がある、ないと言うが、経験を積み重ねるほど決断のスピードはアップできる。

重要なのは、才能という「持って生まれた果実」ではなく、決断を積み重ねて経験知を得ること。経験知があればスピードは上がるし、より正確な決断ができる。
散々迷ったからといって正確な決断が出来るわけではないのは、経験的によく分かります。それならば、間違ってもいいからひとまず決断して、そうして経験を積んだ方が結果的には得をすることになるのではなかろうかと。

まとめ

この本、筆者の齋藤氏が『福翁自伝』を中心に、福沢諭吉のエッセンスを詰め込んでくれているわけで、中身は濃いですね。大雑把に付箋を貼っていっても、結構な枚数になりました。
そして内容には非常に普遍性がある。これは社会人として生きる際の指針の1つになるのではないか、とエラそうなことを就活生が言ってみるテスト。
僕は図書館で借りましたが、『座右のゲーテ』も持ってることだし、買おうと思ったり。
なぜすぐに買わないのか。